シンヨーリア広場は中世時代から現在に至るまで政治の中心として栄えてきました。その起源はゲルフ派が再び町の掌握権を手に入れ、ライバルであるジウリーニ一家を追い出した1268年にさかのぼります。
最初にすべきとみなされたのは、フォラボッチ家とウベルティ家に属する塔の破壊でした。
それがシエナによって導かれたジベリーニ連合によるモンタペルティの戦い(1260年9月4日)での徹底的な破壊行為後、町を守った一家(ダンテの「コメディ」で祝福されたあの有名ファリナータ)の長であったにも関わらず。
この広場の不自然な“L”字型と周りの不揃いさの原因は、36件の家が破壊されたところにあります。町の敵が“一掃された”ままになっているのです。(何も再び建てられることはありませんでした。)
広場の名はもちろん、そこにあった最も有名なモニュメント、アルノルフォ・ディ・カンビオが1288年から99年にかけて設計し(そしてその3年後の1302年には完成)、政府所在地として作られたセニョーリオ宮殿から来ています。そして後には立法のゴンファロニエ、芸術のプリオーリがやってくるのです。(そのため最初はプリオーリ広場と呼ばれていました。)
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